花江夏樹さんのファンがなんか色々書くブログ

声優の花江夏樹さんのファンが推し活やら自分のことやらについて書くブログです。

個人的な意見すぎるガチ恋の話。

自己紹介記事にも書いた通り、私は元々の生息地でガチ恋をゴジラせていた。

ゴジラせていた」はまあ、今うっかり打った誤字なんだけど

拗らせて凶暴化していたので「ゴジラせていた」は正しいかもしれない。

 

そんなこんなで私はどんなジャンルでもガチ恋必死たんを見ると勝手に応援してしまう。

こちらからコンタクトはとらないけど、(ガチ恋さんじゃなくても、同担さんでも他の声優さん推しでも基本自分から絡みにはいかないけど)

勝手にTLを見つめては「がんばりぇえええああああああ」って思っている。

書いてて改めて思うけどキモいな。

 

改めて書いておくと、私は花江くんを好きになった時点でご結婚なさってたので無事(?)だけど、そうじゃなかったら危なかったかもしれないと思っている。

花江くんがお嫁さんの話してるときのお顔の柔らかさが大好きだし、お嫁さんとのエピソードは花江くんの素の部分が垣間見えて好き。

だけどA&Gオールスターの感想記事↓

 

butterflystongue.hatenadiary.jp

 でも書いたように、場合によっては受け付けない時もある。

あとは、あんまり続くと「花江くんガチ恋のお嬢さん方は息してるかな……」って勝手に心配になる。

 

***

 

話を脱線さすけど、世の中の大半は「ガチ恋」と「同担拒否」をニアリーイコールくらいの感じで見ている人が多いような気がする。

実際、ガチ恋さんは同担を拒否している傾向が強めだよね。

でもさ、実際は同担とあえて沢山交流をもつガチ恋もいて、

下手すると同担拒否ガチ恋より厄介だったりする。

 

ピンと来ない方も多いかもしれないので、私のよく知っているAさんの話を例に挙げよう。

AさんはX君のファン。彼女はガチ恋でした。

でも、彼女は他の同担と積極的に仲良くしていました。

余分に持っていた過去グッズを譲ってあげたり、出待ちで自分が話せてなくても「今日誕生日でしょ?行ってきなよー」と同担の子を送り出したりしていました。

そうするうちに、X君ファンの中でAさんは「表面上」は「面倒見のいいお姉さん」「熱心だけど他のファンと揉めないいい子」という地位を手に入れました。

そうなってくるといいことづくめです。

X君は「この子は他のファンからも慕われているし、いつも控えめだからファンサービスしよう。」となるし、同担の子からは「いつも出待ち譲ってもらってるからAさんが来れなかった日のグッズプレゼントしよう」となる。

もちろん、そんなAさんを面白く思わない同担もいたけど「あの人X君オキニだし他のファンからも好かれてるから叩くと自分が悪く言われる」と何もできずにいました。

こうしてめでたく、Aさんは平和に「一番のファン」としてファン人生を全う致しましたとさ。めでたしめでたし。

 

 

 

……というのが表の話。

実際その時のAさんが何を考えてそういう行動をとっていたかというと、

◇自分が同担のワガママ自己中ババァに嫌な思いをさせられていたから他の子にはそういう思いはしてほしくない。

推しのファンが増えるのは嬉しいから優しく迎え入れたい。

◆自分が優しければ自分の方に人が集まる。自己中ババァの仲間を減らしたい。

推しに「いいファンだ」と思われたい。同担と仲良くしてればもめ事を起こさない無害なファンに見える。

◆同担と仲良くなっていれば相手の動向が見える、推しへのプレゼントの内容や受けたファンサの内容が知りたい。

◆仲良くしつつ自分の行動を見せることで、さりげなくマウンティングしたい。「ファンとしてこの人には敵わない」と知らしめたい。

と、プラスマイナスあれど、要は「1番になりたい」が行動の根底にあったんだよね。

 

まぁ、お察しの通りこれ昔の私のことなんだけど。

 

 

実際、いろんな沼で同担同士のグループを見ているとその中に1人リーダー格の人が居たりして、

「お?お仲間かお?????」

とか今でも思ってしまう。

グループ内で誰かがいつも良席当てたり、お金持ちでチケットやグッズいっぱい買えたり、ファンサいつももらってたり、

そういうときにどう思うのかな??って考えてしまう。

 

 こういうのやめたい。

やめたいとは、思っている。

 

けれど人間の、何かを好ましく思う気持ちとそれに伴う妬み嫉み、自分の思い通りにならない苛立ちと悲しみ、そしてそれらを源とする行動は

人類史の中で幾度となく文学、演劇、絵画、歌曲なんかのモチーフにされているくらいだから心惹かれるのはそんなにおかしなことじゃないと思うんだよ。

だから僕、内輪もめとか炎上とか大好きだし、女の子が影口言ってるツイートとか見つけるとワクワクにこにこしてしまう。

みんな感情が豊かな人間なんだ、なんて愛らしく愛おしいんだろうか。

 

 

というわけで、そういうのを観察するのに「熱心なファン」というのはとても面白いんだよね。

自分も過去観察対象だったんだろう……ブログや写真晒されたり●ねって書かれたりはしてた。(でも私マウンティングゴリラだったから「嫉妬乙ぷぷぷ」「これで『ギヨさん叩かれてかわいそう』度が上がるねありがとう、あ!擁護リプきたあざーす、つか叩いてるやつ大体わかってっからなぷぷぷ」と思っていた。)

 

***

 

さて、花江くんのことを語るブログなのに自分語りでだいぶ字数使ったからそろそろ話を花江くんに戻すね。

 

花江くんの結婚やお嫁さんの話について、その手の話題が出るたびに検索かけまくってふむふむとツイートを読んでる私なんだけど(キモいと罵ってくれて構わないよ。喜ぶだけだから)、

・元からそういう感情はなくて、純粋におめでとう、微笑ましい、と思ってる人

・結婚はショックだったけど「推しが幸せならそれでいい」と割り切った人

・今でもガチ恋でその手の話題を嫌う人

・ガチ恋ってほどではないけど、そういう話題をあまり好まない人

とか、いろいろいらっしゃった。

色々な人がいて当然だし、それぞれ自分の気持ちを無理に変えたりせずにありのままでいいと私は思う。

 

ただ、たまに見られた「ファンなのに花江くんの幸せを願えないなんてファン失格」って意見だけはどうにも賛同しかねるのだよ。。。

例えばさ、嫁の話題が出るたびに本人に向けて苦情リプとかする人がいたとして、そういう人に「ファンなのに花江くんに嫌な思いさせるなんてファン失格」ならわかるんだけど、

別に好きでいようが何だろうが人に迷惑かけてなければよくないか?

花江くんの行動の全てを受け入れられないとファン名乗ったらいけないのか?

それだと私も花江ファン失格者になってしまうな。

 

「好き」って、通じ合う必要ないと思うんだよ。

両想いの男女で会っても、自分の「好き」と相手の「好き」はそれぞれのものだし。

「花江くんはこういうファンが好き、だからこういうファンにならなければいけない」ってもんではないんじゃないかね?

例えばだけど、

花江くんは貶し愛が苦手、あるファンの人は貶し愛の傾向がある。

そういう場合に、

・その人が貶し愛ツイートつぶやく、それを花江くんがエゴサして見つけて嫌だなって思う

・その人が花江くんに貶し愛リプ飛ばす

って全く性質の異なるもので。

うーん、話がとっ散らかってきたな……

感情のままにバババって書くと文章が迷子になるから良くないネ。

 

 

まあ、ようするに人の気持ちを矯正するもんじゃないとおばちゃん思ったんだよ。

 

 

***

 

さて、ガチ恋の話だから締めは「私はガチ恋してて幸せだったか」って話をしようと思う。

 

私はX君に、何度か告白してはありがとう、でもごめんと言われている。

結局、私を好きになってもらえることはなかった。

だけど、X君がひたすら大好きで、好かれたくて、少しでも自分を見て欲しくてひた走ってた●年間を後悔したことはない。

それは、X君が私のことを「ファンとして」は大切に思ってくれてたっぽいから。

私がガチ恋と知った上でも、X君迷惑になることさえしてなければファンとしてはいつも尊重してもらえてた。だから、報われないとわかってても好きでいられたし、

ファンとしても沢山X君のかっこいいところ、素敵な所を沢山見られた。

結果、私は幸せだったと胸を張って言える。しんどかったけどね。

 

だから、「好きすぎてしんどいけど、報われなくてもそれでも好きで、ずっと追いかけていたい」って人は無理に矯正としなくてもいいと私は思うよ。

しんどすぎてたまには距離を置くこともあるかもしれないけど、それでも好きで応援したければ無理に上がることはない。

あなたの気持ちを大切にしていいと思う。

 

と、私がこれまでツイートをお見かけした色んな人のガチ恋さんに向けて勝手に書いておくね。

 

 

***

 

 

最後の最後に、なんでこんなこと書いたかっていうと花江くんの挙式がもうすぐなんじゃね?と思っているからだったりする。

エジソンかおーはなで「二年前から休みを取っている二日間がある」みたいな話してたし、結婚指輪も挙式に向けて用意したって言ってたし。

あと、花江くんがいつだったか唐突に東京タワーの写真上げてたけど、東京タワーの目の前に素敵な結婚式場あるよねっていう。

 

……まあ、安心と信頼の私の邪推だからどうなるかわからんけどさ。

なんというか……みんな生きて。